16 December 2010
マリオの死
人生の師はもちろん父であるし、今の仕事のいろいろなヒントや技術的なことや、考え方なども父から学んだ部分が多々あるのだが、では実際に目の前のものををどうするか、ということを教えてくれたのはマリオである。
そのマリオが死んだ。
ということを、人づてに聞いた。
RLの私の仕事の、ロウ付けを担当してくれる年老いた職人だった。
全て独学の私にロウ付けの一から。バーナーの扱い方から火のあて方から、はてはペンチの持ち方まで意見してくれた。
ローディ広場の一角にあるアパートの、日のあたらない半地下室にアトリエを持っていて、汚いタオルを前掛けがわりにして腰に巻き、持病の喘息でぜいぜい言いながら、私が行くと大喜び。
倉庫の奥に眠る「掘り出し物」を探して、これとこれを組み合わせてこうしよう、ああしようとせきこみながら熱弁をふるうのであった。
夕方5時になると前掛けをはずし、手を洗い髪をなで付けてしゃれたコートを着込み、まだあれこれしたがる私をせき立ててアトリエの戸締まりをし、近くのバールでコーヒーをごちそうしてくれてから、ではまたねと家路を急ぐのが常だった。
ある年の冬、最愛の奥様に急死されたあと、もうなにもかもがいやになったと半地下のアトリエをたたみ、マリオは故郷のシチリアに帰ってしまった。
その後2〜3度電話があり「シチリアに来なさい。空気の汚いミラノなんかにいてはいけない、わたしはここで、子供たちが宝石職人になるための学校をひらくんだ」と元気そうに言っていた。
なんだか面倒で、いつも飼っていた犬のせいにして、遊びにいけない言い訳をしていたけれど。
マリオ、子供たちに教える学校はできましたか?シチリアのおいしいお菓子屋の住所を結局聞きそこなってしまったね。
マリオ、どうぞ安らかに。
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2 comments:
そんなことがあったんだ。
タイトルからしてゲームのマリオが死んだのかと思った。失礼しました。
お悔やみ申し上げます。
時代は流れていく、いつも自分にとって大切なものを忘れないcaranさんは立派ですよ。
あははは
人ごみの中で「マリオ!」と叫んだら確実に10人くらい返事しますw
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